仲間募集の理由2:どうして壁にぶつかったのか
【前回までの記事】
【仲間募集】「無理」を「当たり前」に代えてくれることに一緒に挑戦してくれる人
前回の記事では、なぜ仲間が必要なのかについて、フィクションを通じて協力することで、人間社会が発展してきた、という小話に触れました。
今回は、僕が何をしようとして壁にぶつかったのかを書いていきたいと思います。
僕はいまハンブルクで好きなホッケーをしています。
好きなホッケーを突き詰めたいと思った時に、
・トップ選手になること
・一流の指導者になること
この2つは外せないと思いました。
そしていつか、自分が学んだことを日本でも伝えたいと思うようになりました。
今までドイツで学んだこと、また自分なりに考えたことで、日本の競技力向上につながると考えていることは3つあります。
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尚、以下では部活動に対して批判的と捉えられかねない表現が出てまいります。
構成上分かりやすく説明するために、「ドイツのフェライン」と「日本の部活動」の比較という形で文章を進めている都合上、そのような表現となっております。
しかし、僕は、フェラインと部活動のどちらが正しいという二元論ではなく、フェラインと部活動が同時に存在するのが将来の理想的な姿だと考えており、現在部活動に携わり、日々試行錯誤されている方を批判するために書いているものではありません。
あくまで、日本で知られていない、フェラインの長所を伝え、それが日本でどう取り入れていけるかをみなさんとお話しすることを目的に書いており、その点ご容赦頂きたく、お願いいたします。
また、フェラインはホッケーに限らず、あらゆるスポーツに共通する形態です。
それゆえ、以下はホッケーに限らない、日本のスポーツ全体との比較で捉えている点も、ここで強調させて頂きます。
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1つは全世代型のクラブチーム(フェライン、Verein)の設立です。
ドイツに部活動はほとんど存在せず、国内9万弱のフェラインでドイツ人はスポーツに取り組んでいます。
フェラインと部活動を比べた時、3つの長所があると考えています。
- 全世代型であること
ドイツでは3歳児からシニアまで、1つのクラブでプレーしていますが、それにより、選手の競技継続率が高まっています。
日本では、進学先にやりたい競技の部活が無いことを理由に競技を断念するケースが、特にマイナー競技で見られます。
量の観点から見て、フェラインによる競技歴の長期化は、競技全体の底上げにつながります。
次にトップ選手と交流する機会が日常的に存在する点は見逃せません。
ユースの選手はトップ選手のプレーを身近に見る機会があり、時にトップチームと混ざって練習することもあります。
また、トップチームの選手が指導に当たっているケースもあり、数字に見えない効果があるように思われます。
- 選手の流動性が高いこと
クラブチームは一定のルールの下で自由にチームを移籍することができます。
これを日本で導入することで競技人口の維持・増加と、チーム数の増加、そして指導者の質を高めることを可能にします。
【競技人口の維持・増加】
例えば、進学によってホッケーが続けられなくなった子や、メディアや普及活動を通じてホッケーを好きになった子の受け皿になることが出来ます。
中学校でホッケーをしていたが、進学先の高校にホッケー部が無ければ、競技を続けることができません。
また、高校生がサムライジャパンやさくらジャパンの活躍をメディアで見て、ホッケーをしたくなっても、その高校にホッケー部が無ければできません。
フェラインがそのような子を受け入れられれば、競技人口が維持・増加していきます。
【チーム数の増加】
逆に選手の数が多すぎる、という問題の解消にもつながります。
例えば、慶應高校では現在部員が3学年で70人近くいるようです。
インハイでは15人までしかベンチ入りできないので、残り55人はプレーできません。
これがクラブチームであれば、チームを複数作ることが可能なので、それだけでチーム数が増加[1]します。
選手全員が試合に出る楽しみを味わうことができるのも、大きなメリットです。
【指導者の質向上】
加えて選手の流動性の高さは、指導者に一定のモラルと指導力を要求します。
理不尽/見当はずれの指導と選手から見なされれば、選手がチームを移籍してしまうからです。
これにより、指導者と選手が上下関係から、相互に責任を負う関係性になります。
現在のブラック部活と呼ばれる問題解決の糸口になるかもしれません。
- 教育と切り離されていること
これは見落とされがちですが、教育とスポーツは切り離されて考えられることが世界では一般的です。
例えばフランス人のベルナール・ジレはスポーツを「遊戯・闘争・はげしい肉体活動」と定義しています。
1964年東京オリンピックの際には、国際スポーツ体育協議会(ICSPE)は「プレイの性格を持ち、自己または他人との競争、あるいは自然の障害との対決を含む運動はすべてスポーツである」とスポーツを定義しています。
アレン・グートマンの『儀礼から記録へ:近代スポーツの本質』では、より簡潔に「『遊びの要素に満ちた』身体的競争」と定義されています。
これに共通するのは、スポーツはプレイ(遊び)であるということです。
日本ではスポーツは明治初期にヨーロッパより持ち込まれました。
この時、武道などにみられる、身体活動を精神修養と結びつける傾向とスポーツが結びつき、それが戦後も色濃く残り、日本ではスポーツを教育と結びつける傾向が強くなっていったようです。
参照:笹川スポーツ財団 スポーツの歴史 1-5 日本にスポーツはなかったのか…
プレイ(遊び)の目的は勝利ですが、教育の目的は人格形成にあり、必ずしも勝利とは結びつきません。
性別、年齢、プレー水準に関わらず、ドイツ人に共通する勝利に懸ける姿勢と、自分のこれまでの姿勢を比較すると、この目的の違いを感じることがあります。
2つ目は練習頻度と練習時間の見直しです。
ドイツのトップチームは週3-4日で練習・試合を行います。
(平日は火曜・木曜、週末は試合)
練習時間も2時間程度です。
※社会人は基本的に仕事を持ちながら練習に参加しています。
僕の知っている人の中だけでも、大手食品メーカー、科学者、教師、弁護士、医者といった職業に就きながら、トップチームの練習に参加しています。
週6日が定着している日本からすると、少なく思う人もいるのではないでしょうか。
これは質と量の問題になります。
以前、記事でもあげましたが、僕の結論は、質を落とさず、出来る限り量を増やす、です。
参照:能力は才能と努力、どちらによって決まるのか
その点で週3-4の練習で間違いなく質は上がりました。
つまり、僕の場合は、週6で練習していた時は、質が落ちていた、ということです。週6で練習している内は、気づきませんでした。
※但し、質を高めるためのテクニック、練習内容は抑えておく必要あり。
3つ目は原則に基づいてホッケーを捉えることです。
日本では、ホッケー界で、私の知る中では飛田尚彦さんが原則に基づいた指導をされています。
サッカーにおいては、岡田武史さんもその重要性を著書の中で触れています。
参照:岡田メソッド
ブログ内で十分に説明できる内容ではありませんので、ここでは割愛します。
以上3つを、競技力向上につながることとして考えています。
ところが、この中でフェラインの設立が日本では構造的に難しいのです。
それは、部活動とフェラインがルール上、共存できないこと。
そして日本の労働環境。
最後に都市に集中する雇用・人口・教育機関(都市化)、という問題が絡んできます。
次回の記事では、フェライン設立が現在の日本では難しいという、構造的な壁の中身について僕の考えを説明します。
そしてこの構造的な壁を乗り越えることが、フェライン設立だけでなく、様々な課題解決につながると考えています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
続き
仲間募集の理由4:なぜ僕がやるのか。仲間を集めて何をするのか。
[1] ドイツではピラミッド型にリーグが構成され、各リーグにクラブの2軍、3軍が参加可能。日本のトーナメント方式との整合性は検討する必要がある。
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