【体験談】新たな視点を投げかけてくれることの価値(メンタルコーチ 中嶋進さん その3)
中嶋さんとのセッションも3回目となりました。
毎回、中嶋さんと話していると、今まで自分の中でクリアになっていなかったことに気づかされます。
中嶋さんのセッションの特徴は、メンタルコーチ/コーチングに加え、中嶋さん自身の競技経験(ビーチテニス(元日本代表)/テニス)からくる、リアルな体験談があることです。
その経験から、「そういう見方もあるのか」と思いもしない角度から話をしてくださるので、新たな視点を持つことができます。
本気でプレーする、とは何か。
勝負にこだわるメンタリティについて話している中で、本気でプレーしない選手に対してストレスを感じることがある、という話をしました。
なぜストレスを感じるのかを2人で考えていく内に、「本気でプレーする」の定義が自分の中であいまいであることに気づきました。
初めは、厳しくプレーするぐらいのイメージで話していました。
しかし、中嶋さんから、「ミスしたことは忘れ、良かったプレーにフォーカスし楽しむことが勝つために大切」という話が出ると自分の考えが正確でないことに気づきました。
つまり中嶋さんの話では「ミスしちゃった、でもそんなの関係ねぇ」という態度が良いということであり、それは厳しくプレーするということでは説明できないのです。
確かに、勝つためには変に自信を失うよりは開き直るぐらいの方がよさそうです。
しかし、このような態度はヘラヘラしているように見えることもあり、人によっては「ふざけてんのか!?」と言いたくなる態度でもあります。
それでも、勝つために必要なことであり、その意味では「本気でプレーしている」のです。
一方でがむしゃらにプレーしている選手もいます。
一見本気でプレーしているようにも見えますが、彼は何が勝つために必要なのかを考えず、目の前のボールをひたすらに追っているだけです。
これは「本気でプレーしている」ことになるのでしょうか。
試合の目的である、勝利を真剣に考えずに、目の前のプレーだけをしていれば良い、という態度は単なる「頑張っているアピール」でしかないでしょう。
そうなると「本気でプレーしている」とは言えないと思います。
では、本気のプレーとそうじゃないプレーの境目はどこにあるのでしょうか。
ドイツで感じた「遊び」に対する姿勢の違い
問いの答えを考えていたら、ドイツで自分の人生観が変わった出来事を思い出しました。
それは「遊び」は本気で向き合うべきものである、ということです。
シーズン前に行われたレクリエーションで1泊2日の旅行をしました。
トレーニングではなく、親睦を深めるという意味合いのレクリエーションで、ゲームをしたり、お酒を飲んだりするものです。
途中で、Beer Pongというゲームをしました。

ビールが入ったカップをいくつかテーブルの端に並べ、反対側からピンポン玉を投げ入れて、全てのカップにピンポン玉を入れたら勝ち、というものです。
ピンポン玉が入ったカップのビールは飲み干さねばならず、いわば余興です。
お酒も入っていたし、遊び半分でプレーしていました。
その時は2on2でゲームしていて相方がいたのですが、突然その相方が
「真剣にやれよ!」
と怒り出しました。
冗談だろ?と思いましたが、顔を見ると本当に怒っていることが分かりました。
あとになって考えてみると、「遊び」でもやっぱり勝ちたかったのだと思います。
この他にも練習試合に呼ばれて4部の試合に出た時も、ミスに対して試合中に怒鳴っているチームメイトがいたこともありました。
他のドイツ国内の試合や、ドイツ代表の試合を観ても、誰かが怒鳴っている光景は見られます。
これは、中嶋さんの話でいくと味方を萎縮させてしまうので良くないのですが、それでも勝利に対する思いが強い、ということ点では納得できます。
ただ、試合が終わるとすぐにビール飲んだり、タバコ吸ったりしているので(ドイツ代表選手がタバコ吸っていたのは本当に悲しかった)ピッチの上では手を抜かないけど、ピッチ外は別の話、ということなのでしょう。それが無ければ、もう少し選手寿命が延びると思いますが…
僕にとってのホッケーは「修行」だった
以前このブログでも書いている通り、スポーツの定義は「遊び」とされるのが一般的です。
一方、日本では教育と密接に結びついており、「遊び」と捉える人は少ないのではないかと思います。
僕にとってのホッケーは長らく「修行」の意味合いをもったものでした。
どれだけホッケーのことを考え続けられるか、どれだけ長い時間練習できるか、どれだけハードに身体を追い込めるか。
そこには、競技力の向上以上に自分を追い込む、という意味が強かったように思います。
それが悪いことばかりだったとは言いませんが、「競技力の向上」という点においては、ほとんど意味がありませんでした。
というのも、僕が「修行」としてホッケーをしていた高校・大学の7年間で明確に「上手くなった!」と実感したのは、高校3年生の1回、大学2年、3年の1回ずつ。計3回だけでした。
一方、ドイツに来て「修行」を見直して、「何をどう向上させるか」という視点に切り替えてからこれまでの1年半では、上手くなったと思う瞬間が数え切れないほどあります。
ホッケーにおいて「本気のプレー」は成果で測られるしかない
ドイツの例をみると、スポーツを含めた「遊び」に対してドイツ人が本気で取り組んでいるのは間違いないと言えます。
しかしながら、ピッチ上で本気のプレーをしていても、ピッチ外では酒飲んでタバコ吸っているので、ピッチ上とピッチ外での整合性は必ずしも無さそうです。
一方僕がしていた「修行」はピッチ上でもピッチ外でもそれなりの態度をしていたつもりですが、「競技力の向上」という点においては成果を挙げませんでした。
このように考えると、ピッチ上・ピッチ外でのふるまいで「本気でプレーしている」かどうかを判断するのは難しいのだと思います。
例え、「本気でプレーしている」ように見えたとしても、試合の目的が「勝利」である以上、それに見合う成果が出ていなければムダでしょう。
「本気じゃないようにプレー」をしていても、「勝利」に見合う成果が出ていれば、ビールを飲んでも、タバコ吸っても関係ないのです。
僕個人は、飲みすぎには反対。タバコは一切反対ですが。
両者が同じチームにいた場合、前者の態度が良いからといって、後者より優遇して扱えば評価基準が歪み、選手は不満や不安を感じてしまうでしょう。
最悪の場合、「アピール」の為の練習をする選手が増えて、競技力が上がらない、ということになりかねません。
これは日本企業の残業にも同じことが言えるでしょう。
生産性が挙がらないというのは、「成果」に焦点を当てず、「態度」や「ふるまい」に焦点を置くことで、評価基準が歪むことで、生じるのでしょう。
僕の評価基準が歪んでいた
当初僕は「本気でプレーしていない」と僕が感じる選手に対してストレスを感じることを問題視していました。
しかしながら、「本気のプレー」と「本気じゃないプレー」を判別することは難しく、結局そこから生まれる「成果」に焦点を当てないといけない、ということをこれまで考察しました。
そう考えると「本気でプレーしていない」と判断してストレスを感じていた原因も見えてきます。
つまり、僕は「態度」や「ふるまい」に目を向けるあまり、自分の評価基準を歪めていたということです。
そもそも、「本気のプレー」、「本気じゃないプレー」という基準で良し悪しを判断すること自体が間違っていたのです。
中嶋さんとのセッションの意味
僕は長らく自分の評価基準の歪みに気づいていませんでした。
ただ、中嶋さんが僕には無い新たな視点を投げかけてくださったことで、そこに気づくことが出来ました。
自分に無い視点を得る、というのは口で言うのは簡単ですが、実際にやるのは難しいと思います。
同じ環境に留まり続けてしまうのが人の性で、新たな友人を見つけるのは難しいものです。
違う国で住むことや、転職するなどの大きな転機があると新たな視点は得られやすいです。しかし、僕は両方を経験しましたが、今回のように物事を一面的にしか見られていないことはあります。そして恐らくそれはまだまだたくさんあるでしょう。
そういう意味で、新たな視野を投げかけてくれる中嶋さんのようなコーチはありがたい存在です。
次回のセッションで、新たな気づきが得られるのが楽しみです。
今回もセッションについて中嶋さんがブログを書いてくれています。
そちらも是非ご一読ください!
“【体験談】新たな視点を投げかけてくれることの価値(メンタルコーチ 中嶋進さん その3)” に対して7件のコメントがあります。